みゆき野球教室

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奇跡の人 The Miracle Worker

「奇跡の人」は、三重苦を背負いながら、不屈の努力でそれを克服したヘレン・ケラーと彼女を教え導いたサリヴァン女史の伝記映画である。この奇跡の人とは、ヘレン・ケラーのことではなく、サリヴァン女史のことをいう。
 
五体満足な身体で生まれながら、人生に苦戦している私としては、彼女の生き様を学び、まだまだ努力しないといけない。
 
ヘレン・ケラーに関しては、皆さんも学校で習ったことと思うので、多くを語らなくてもいいだろう。
今回は、違った視点から彼女とサリヴァン女史のことを考えてみようと思う。
 
もし、ヘレンが貧しい家に生まれていたら、どうなっただろう?
おそらくは、サリヴァン女史との出会いはなかっただろう。家庭教師を雇うには、十分な経済力がないと出来ない。家庭教師も雇わない上に、家族のお荷物になっていたかもしれない。日本でも昔は、障害を持って生まれてきたら、生まれて来なかったことにすることはよくあったと聞く。アメリカにおいては、そこまでは酷くないにしても、疎んじられて失意のうちに人生を終えた可能性は十分にある。
 
このように、人は運に左右される。もし、運が悪いとどんなに能力があっても、どんなに努力をしても報われない。というよりも、運が悪い人には努力ができる環境は与えられない。
 
インターネットの相談掲示板を見ていると、こんな書き込みをよく目にする。
「高卒だけど、アナウンサーに(あるいは新聞記者や上場会社の社員など)なる方法を教えてください」と。
その人は、おそらく進学ができる経済力が家庭になく、諦めさせるために親や大人たちから「学歴なんて関係ない。学歴がなくても立派な人や成功した人はたくさんいる」と教えられてきたのだろう。それを信じて高校を出て社会に出て、理不尽な社会の仕組みを知ることになる。その人は、運がなかった人だ。もし、この人に教育の機会が与えられていたら、夢をかなえていたかもしれない。
 
努力できる環境にないと、努力したくても努力できない。
ヘレン・ケラーの陰に、多くの障害を持って生まれた人が、努力する環境を与えられぬまま世を去った。今でもそうだろう。
私は神を信じる人間だが、なぜ神はこのような酷い現実を人に与えるのだろうと強く思う。
神は乗り越えられない試練は与えないとよく言われるが、これは誤りだ。専門用語で生存者バイアスという。
 
このような過酷な人生でも生きていかないといけない。人生は無情だ。