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スポットライト 世紀のスクープ Spotlight

二千年の歴史があるカトリック教会は、多くの過ちを犯してきた。十字軍、宗教裁判、免罪符の販売、ユダヤ人への迫害の容認とおよそ神の教会を語るにふさわしいことばかりだ。
 
また、こんなこともあった。ナチスの手から逃れようとする音楽一家のトラップファミリーを逃がすため、修道院のシスターがナチスのクルマを細工して走れなくした。それを院長に告白したところ、院長は「私も罪を犯しました」と言って、クルマの部品をシスターに見せた。こうしてトラップファミリーは無事にスイスに逃げて、名作「サウンド・オブ・ミュージック」が生まれる。
 
カトリック教会は、こうした過ちを公式に認め、神に許しを乞うミサを捧げた。
誰でも過ちを認めて改めることは痛みを伴う。しかし、それができるか否かで人であれ組織であっても真価が問われる。
 
ボストンというとても美しい街の新聞社ボストン・グローブに新しい編集局長が赴任する。彼はユダヤ人で独身。恐ろしく頭の切れる人物だ。
彼は赴任してすぐに、ロビーが率いる「スポットライトチーム」に、カトリックの神父による少年や少女への性的虐待の取材をするように命じる。
調べてみると、この闇は想像以上に深いことがわかる。被害者はその出来事を語りたがらない上、多くの被害者は自ら命を絶っていたり、ドラッグに溺れたり、精神を病んでいた。
 
ボストンはアメリカの中でもカトリック教徒の割合が多い。事件の記録はほとんどが残っていないし、神父の上司である司教、大司教枢機卿、さらには教会というシステムそのものが事件をもみ消していることがわかった。
ロビーたちは熱心な取材で真実を追求し、ついに決定的な証拠を手に入れる。
 
これは「スポットライト 世紀のスクープ」のあらましだ。2001年から取材を開始して、2002年初頭に新聞に記事を掲載し、以降も次々に続報を掲載した。これは、実話だ。この取材により、聖職者の座を追われたり、服役した者も多い。
 
このように、スポットライトチームは、ジャーナリストとして、正義を明るみにするために戦う。ある時は、教会という巨大な権力に押し潰される危機を迎えるが、彼らの信念は揺らがない。
 
一方、我が国を顧りみれば、テレビジョンも大新聞も政権にゴマをすることに熱心で、本来の役割を果たしていないように思える。メディアの役割とは、権力を監視し、ある時は批判することだが、政府広報機関に成り下がっている。
 
この作品はバチカンが反カトリック映画として信者の鑑賞を禁止したり、上映反対運動を起こすかと思ったが、この作品を高く評価していることが興味深い。過ちを認めて改めることが出来るカトリック教会の良いところかもしれない。
 
この作品は、来年の米国カトリック映画賞を受賞すべき作品であると、私は思う。