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トワイライトゾーン/超次元の体験 The Twilight Zone:The Movie

初めてヒコーキに乗ったのは、21歳の時だ。
広島でアマチュア時代の最後の作品「ダビンチの子供達」という映画を作り、プロの映画人になるために鎌倉に戻る時だった。
当時はまだ割引制度が充実していなくて、定価で日本交通公社の窓口で航空券を買ったことを覚えている。3万円くらいだったと記憶している。
市内の便利な場所にあった旧・広島空港から全日空B767に乗り込んだ。窓側の席を取ったが、主翼の上で、おまけに曇っていたので、景色は全く見られなかった。あっという間に羽田空港に着いた。
 
ヒコーキは一番好きな乗り物だ。これほどトキメキのある乗り物は他にはない。
航空関連の仕事を目指したこともある。子供の頃は「アテンション・プリーズ」を見てスチュワーデスに憧れたが、容姿に恵まれず諦めた。せめて空港で働きたいと思ったが、東京シティエアターミナルで臨時の職を得て働いたことがある。
 
さて、中学生の頃、TBSで再放送をしていた「ミステリー・ゾーン」というアメリカのテレビ映画を父が見ていた。私も一緒に見るようになり、熱心なファンになった。不思議な出来事を緻密なプロットで描く30分の番組だった。
のちに、この作品は映画になった。その時のタイトルは、「トワイライト・ゾーン」だった。4つのエピソードのオムニバス映画で、その中にヒコーキに関する話があった。
「2万フィートの戦慄」という題名のその話は、ヒコーキ恐怖症の男が、上空2万フィートで遭遇する信じられない話だ。
 
私はこの映画を観て以来、ヒコーキが怖くなった。あれは映画での話だとわかっていても、やはり怖い。
 
テレビ映画の「ミステリー・ゾーン」は、脚本を書いたロッド・サーリングがホストとして画面に出てくる。たとえば、これから墜落するヒコーキの機内でストーリーの解説をする。その演出手法がとても好きだった。のちに、これはタモリが模倣することになる。
 
アメリカのテレビ映画は本当に熱中した。再放送で見るために、夜更かしして翌日会社を休んだこともあった。今は熱中できるテレビ映画が無いのが残念だ。