みゆき野球教室

ダメ人間の由佳さんが毎日0時に更新しています

フィールド・オブ・ドリームス Field of Dreams

1991年、私はある啓示を受けた。その声に従い、日本を離れた。


22歳の時にうつ病を患い、療養生活を送っていた。少し良くなったので、昼間の仕事にシフトした。飲料メーカーのアルバイトとして、なんとか生計を維持していた。
その声を聞いたのは、5月の大型連休を終えたあたりだ。すぐに行動を起こした。どこへ行こうかと悩んだが、土地勘があるサンフランシスコにした。
 
三菱銀行府中支店で30万円借りて航空券を買い、旅立った。ジャンボジェットの窓から九十九里の海岸が見えた時、二度と日本には帰らないぞと心の中で誓った。
計画はこうだった。まずは、競馬である程度のお金を作り、それを持ってリノかラスベガスに行き、カジノでさらに増やす。うまくいくような気がした。
 
ヒコーキの中では一睡も出来なかった。前日もほとんど寝ていないので頭が痛かった。それでも、眼下にLAの街並みが見えた時は興奮して頭の痛さは忘れていた。
LAからは国内線に乗り換えてサンフランシスコを目指す。やっとのことでサンフランシスコに着いたのは夕方だった。
空港から週貸しのサービスアパートメントに電話をして、乗り合いのヴァンに乗って市内へ。
週110ドルの部屋を借りた。トイレとシャワーは共同。ほとんど映らないテレビがついていた。
 
今思えば、無謀なことをしたと思う。しかし、あの経験があったから今の私があることは間違いない。
サンフランシスコでの出来事は、この先何回も出てくると思う。
 
無謀といえば、私以上に無謀な人がいる。
彼も声を聞いた。その声に従い、自分のトウモロコシ農場を潰して野球場を作った。
アイオワの農民と彼の家族、そして隠遁生活を送っていた作家、J.D.サリンジャー、さらには八百長疑惑で野球界を追われた名選手シューレスジョー・ジャクソンを描いた小説「シューレス・ジョー」は私にとって生涯ナンバーワンの作品だ。ちょうど、サンフランシスコに旅立つあたりによく読んだ。
のちにこの小説はケビン・コスナー主演で映画化された。いい映画だが、私は小説の方が好きだ。
 
サンフランシスコで初体験したことがある。それは、タワーレコードに行ったことだ。そこでベット・ミドラーのCDを買った。渡米前まで付き合っていてフラれた恋人が好きだった歌手で女優。
タワーレコードは本国のアメリカからは撤退した。