あん
ラストシーンで主人公のひとり、店長さんが花見で賑わう公園でどら焼きを焼いている。
彼は、「どら焼きはいかがですか?」と大きな声で呼びかける。おそらく、彼の人生で初めてのことだろう。その顔は、笑顔だ。そして画面が黒くなり、クレジット。この瞬間、私は涙を止めることができなかった。
会場に着くと、すでに長蛇の列。1,300人を収容できる大ホールはすぐに満席になった。
この作品は3人の主人公がいる。
まず、どら焼き屋の店長さん。次に、徳江という老婆、そしてワカナという少女。
映画は西武線沿線のアパートから始まる。桜のきれいな春。
店長さんは朝起きて、屋上でタバコを吸い、仕事場である小さなどや焼き屋に出かける。この店はどら焼きの製造直売を行い、放課後は地元の中学生たちが集まる。その中には悲しげな目をしたワカナもいる。
そこへ、徳江が現れる。ここで働かせて欲しいというが、力仕事であることを理由に断られる。しかし、彼女の作る粒あんは店長さんがそれまでに食べたことが無いものだった。
徳江は病気で指が不自由だというが、生活には全く影響が無い。彼女が作る粒あんを得て、どら焼き屋は行列ができる店になる。
そんな時、この店のオーナー夫人がやってきて、徳江はハンセン病の噂があるので、辞めさせるべきだというが、店長さんは徳江に接客まで任せるようになる。
春から始まる物語は、やがて夏になり、秋になる。だが、噂が広がったのか、客は誰も来なくなった。徳江は店を去り、店長さんは酒の量が増えていく。
徳江は、噂のとおりハンセン病の元患者だった。この病気になった人たちは、国家権力によって強制隔離された。親兄弟、そして人権も奪われての生活を強いられた。この強制隔離が終わるのは、20世紀の終わり近くだ。
ハンセン病の元患者は理不尽な生き方を強いられたが、他の主人公もまた、重荷を背負って生きている。店長さんは暴力事件で服役を経験している。ワカナは教育には全く関心の無いシングルマザーに育てられている。
徳江は、亡くなった。このままでは何の救いもない映画だ。しかし、徳江が残した何かが、生きている者に働きかける。そうして、大切なものに気づかせてくれる。
重荷を背負っているのは、映画の登場人物だけではない。それを見ている観客もまた、同じように重荷を背負って生きている。だから、私たちもスクリーンを見つめながら、徳江によって救われる。
河瀬直美という監督は、実に映像表現に長けた人だ。これはテクニックだけが優れているのではない。人間を見つめる暖かい眼差しが、ひとつひとつの映像表現となってフィルムに焼き付けられるのだ。
彼女は、世界で勝負できる数少ない日本人監督だ。
よく、世界で活躍する人を「世界のクロサワ」などと言うが、本当に世界で活躍している人には「世界の」という枕ことばはいらない。チャップリンにしても、スピルバーグもルーカスも「世界の」という枕ことばが付かないように。彼女は「河瀬直美」という名前で世界に通用する。
「小さいけど偉大な作品」と世界が評価した「あん」。
私は河瀬直美の才能に嫉妬する。