みゆき野球教室

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西鶴一代女

餃子が好きだ。
母は餃子を作るのが上手かった。そのため、外で食べる餃子や冷凍のもの、チルドのものは物足りなかった。
一家離散して、母の料理が食べられなくなり、仕方がなく他の餃子も食べるようになったが、今のところ、黒い勢力との交際が話題になっている京都発祥の餃子屋の物と、冷凍では味の素が一番美味しく感じる。
 
焼き餃子を一番多く食べるが、水餃子は食べたことがない。揚げ餃子が好きで、惣菜店で見つけたら思わず買ってしまう。
 
餃子は紀元前6世紀の頃から食べられていたそうだ。日本では、水戸光圀が最初に餃子を食べたという記録が残っているが、一般家庭にも普及したのは第二次世界大戦後だそうだ。中国から引き揚げた人や中国で戦った兵隊たちが伝えたとされている。
 
日本で餃子の街というと、宇都宮だが、東京の蒲田も餃子の街として知られている。
蒲田といえば、かつて松竹の撮影所があった。東洋のハリウッドとも言われた。この街から、多くの名作が生まれた。
蒲田撮影所は、関東大震災で撮影所機能を喪失し、翌年に蒲田での映画製作が再開されたが、周辺に町工場がたくさんあり、トーキーの映画を作ることが難しくなり、大船に移転した。
 
松竹蒲田が生んだ最大のスターは、田中絹代だろう。
田中は、大スターとして脚光を浴びるも、後年は「老醜」と言われ、大スランプに陥った。
そんな田中に想いを寄せていたのは、溝口健二。彼もまた多くの仕事の失敗で大スランプの真っ最中だった。
そんな二人が組んだ「西鶴一代女」は、彼らがスランプを脱するきっかけとなった。
田中はそれまでの可憐、清純というイメージを一切捨てての演技、溝口も渾身の演出で、この作品は海外で多くの映画賞を受賞し、世界に日本の映画レベルの高さを示した。
 
田中と溝口が結ばれることはなかった。原節子小津安二郎が結ばれなかったように、これで良かったのかもしれない。