みゆき野球教室

ダメ人間の由佳さんが毎日0時に更新しています

ラスベガスをぶっつぶせ 21

人生は運だ。運100%と言ってもいいだろう。
 
いやいや、努力だ。そういう人もいるだろう。
確かに努力は必要だ。
だが、努力できる環境に生まれなければ、努力は出来ないし報われない。
例えば、大リーグの鈴木一朗選手が、才能を育てるのに否定的な家庭に生まれていたら、彼は優秀な野球選手として歴史に名を刻まなかっただろう。
 
運より縁だ。そういう人がいることも知っている。
しかし、運のいい人はいい縁があり、運の悪い人には悪い縁がある。よく騙される人はこのような人だ。
 
アメリカの心理学者の研究では、運のいい人は一生運が良く、運が悪い人は一生運が悪いという。
なんとも救われない話だ。
 
運を良くする方法はあるのだろうか?
これを考えたら、変な宗教にはまるだけだ。
運が悪い人は諦めるしかない。
もう、これは神の領分だ。きっと、深い御心がそのようにしているんだろう。
 
運も実力のうち。そういう人もいる。でも、それは運がいい人の奢りで不運な人への労りがない。
運が悪いばかりに浮かび上がれなかった人や潰された人は多い。
もし、ショーンKが教育熱心な家庭に生まれていたら、彼は嘘をついて生きる道を選ばずに済んだことだろう。
 
運について深く考えたのは、ギャンブラーだった。彼らは運・不運によって人生が決まる。
面白いのは、そんなギャンブラーが後に中学の教科書に載るような数学、とりわけ確率論や統計学の基礎の理論を確立したということだ。
数学者というと、面白みのない人間を想像してしまいがちだが、このように自分の欲望を満たすための研究によって、後世の社会に有用な理論が形成された。
 
「ラスベガスをぶっつぶせ」は、MIT(マサチューセッツ工科大学)の天才数学学生が、ラスベガスのカジノで大儲けを企む痛快な物語。これは、実話だそうだ。
頭脳と数式で運さえもコントロールしようとした。さてさて、彼らの企みはうまくいくのだろうか?
 
私は、運には恵まれないと思っている。
でも、よく考えてみたら、身体は虚弱だし、心は折れているが、五体満足な身体で生まれてきて、この歳までなんとか生計を維持できた。少ないけど、信頼できる友達もいる。かわいい茶トラの息子もいる。もしかすると、私は幸運の持ち主かもしれない。そう思わないのは、神様に対しての冒涜であると考えるようになった。