みゆき野球教室

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スタンド・バイ・ミー Stand by Me

あの震災から5年になる。
あの日、私は国鉄の駅で働いていた。旅客に対して乗り場や乗り換えの案内をする仕事だ。
地震の前、iPhone地震お知らせアプリが何回も震えた。画面を見ると震度7の表示。強い揺れに備えた。その直後、大きく揺れた。その瞬間、首都圏の電車は全て止まった。
駅には、電車に乗れない旅客であふれた。
 
17時までの勤務だったが、交代要員が来ることができない。仕方がなく、交代が来るまで残業となった。
 
夜になっても、電車は動く気配がない。バス乗り場は長蛇の列ができていた。売店からは全ての食品と携帯電話の充電器が売り切れた。
国鉄は、駅を閉鎖する判断を下す。私たちは、構内にとどまる旅客を広域避難所へ案内する。
駅のシャッターが閉められ、構内を点検すると、屋根や壁の崩落が見つかった。このまま旅客を置いておくと、二次災害につながる。それに、改札口から制止を振り切って線路に入り歩き出す旅客もいることが予想されたので、この判断は妥当だと思っている。
 
しかし、世論はこれを批判した。東京都知事も社長を呼び出して厳重注意した。また、旅客や来場客を構内で保護した空港やディズニーランドと比べ、さらに非難した。インターネットには、国鉄は駅を閉めてみんな帰ったという書き込みもあった。実際は、運行以外の社員も含め全社員が招集され、各駅に配置され運転再開に備えた。
 
結局、交代要員が来なくて泊まり勤務になった。いつもは騒がしい駅も、この夜は不気味なほど静かだった。
朝になっても電車は動かず、駅は暴動の直前だった。急いで電車を走らせろという圧力もあった。しかし、全線にわたって検査したところ、線路が隆起した箇所もあった。もし、あの時に圧力に負けていたら、多くの命が失われただろう。
 
これらのことはほとんどの人が知らない。しかし、旅客の安全のためにベストを尽くした人たちは心ない言葉で責められてトラウマになった。私もそうだ。震災から2か月後、私は大好きだった駅を去った。今でも、あの駅の発車メロディーを聞くとあの日のことを思い出す。
 
あの日を境に日本は変わった。私も生き方を変えた。まだ心の傷は癒えないが、なんとか社会に適応できるようになった。
 
ここまで書いて、あの日のことを思い出し、辛くなった。でも、5年経ったことによりどうしても書くべきだと思った。
 
鉄道従事者の間では、人が線路を歩くことを「スタンド・バイ・ミー」と呼ぶ。もちろん、スティーヴン・キングの小説と映画化された作品で主人公の少年たちが線路を歩いて旅をすることから名付けられた。
 
この映画を観ると、あの日を思い出すので、きっともう観ることはないだろう。