マッカーサー MacArthur
当然、競馬は中止になり、収入は途絶えた。
裕仁の病状が深刻になった時、私は米国にいた。当時はまだインターネットがないので、日本人街で売られている読売新聞の衛星国際版の1面紙面で病状を確認した。
ある時、裕仁の病状を確認するいい方法を思いついた。東京にある私の誰もいない家にコレクトコールで電話をかける。当然つながらない。そこで、「おつなぎ出来ませんでした」と言うKDDのオペレータに裕仁の病状を聞いた。
帰国して数か月後に、裕仁は亡くなった。結局、戦争犯罪者として裁かれなかった。でも、今はそれで良かったと思っている。今上の明仁は父の戦争犯罪を償うために、精力的に平和に関して発言している。再び戦争をしようとしているアベシンゾーは明仁の言葉をどのように捉えているのだろうか? きっと、何も思っていないだろう。彼にとって天皇は敬いの対象ではなく、利用するものだからだ。
一方、アベシンゾーの祖父はA級戦犯として死刑になるところを命乞いして許してもらった。その引き換えに、日本国を差し出すという条件で。今、アベシンゾーがやっていることを見ると、この話はまんざら嘘ではないと思える。