みゆき野球教室

ダメ人間の由佳さんが毎日0時に更新しています

最後の誘惑 The Last Temptation of Christ

去年の暮れから生命の危機にあった。いつ死んでもおかしく無い状態だった。たとえ死ななくても、信仰を捨てて抜け殻のようなニンゲンとなって、惰性で生きて行くことを選んでいただろう。


でも、今回も神によって救われた。神は一人の信徒を通して、私を救ってくださった。
これで何度目かわからない。いつも、奇跡が起こる。でも、私は弱い。この先もきっとまた同じ苦しみに遭遇して、死の淵を彷徨うだろう。その時も、必ず神は助けてくださると信じる。
 
カトリックのミサでは、司祭がこのように言う場面がある。「主イエスはすすんで受難に向かう前に、パンを取り、感謝をささげ割って弟子に与えて仰せになりました」。受難とは、十字架につけられて死ぬということだ。イエスもその時には苦しみ悩んだに違い無い。でも、逃げなかった。むしろ、すすんで受け入れた。キリスト教的にいうと、その受難があったからこそ私たちは罪を赦され、永遠の命を受けることができる。
 
マーティン・スコセッシの「最後の誘惑」は、イエスの人間的な部分を描いた。そのため、キリスト教団体からは激しく非難され、上映禁止や鑑賞禁止の運動まで起こった。その是非はともかく、観ておきたい映画の一本だ。
 
私を教会に導いた神父が転任により教会を去る。彼が残したものは大きい。たくさんの人を救ってきた。そして、弱い者をいたわる優しい信徒をたくさん育てた。私はそれで救われた。