キートンのセブン・チャンス SEVEN CHANCES
「チャンスは何度でもやってくる」。
若い頃に考えがちだ。しかし、見送ったチャンスが生涯最後のチャンスということもある。
人生は運100%だと考えている私にとっては、それがよくわかる。
こう書くと、たくさん批判される。でも、世の中を見ると、何の落ち度がない人が不運な事件や事故で命を落としている。一方、落ち度だらけの人が人々から尊敬され、賞賛され、多くの富を蓄えていることも多い。むしろ、そちらの方が多い。
運がいい人には、チャンスは2分に一度やってくるが、運が悪い人の元には生涯で一度もチャンスが訪れない。何という無情だろう。
私に、今ひとつのチャンスが訪れた。しかし、現実問題を考えると見送らざるをえない。具体的に書くと、バンコクでの仕事の話がある。でも、その仕事を得ても、渡航費用やバンコクでのアパート代、引越し代はすべて自分持ちだ。会社は、就労ビザと労働許可証を申請し、会社に席を用意してくれるだけ。つまり、お金の問題で見送ることになる。無念だ。きっと次にもチャンスは巡ってくるだろうという気持ちとこれが最後のチャンスがと言う気持ちが同居している。
運が悪い人は、たとえチャンスが巡ってきても、それを掴み取れない。
チャップリンのように、最後まで評価が高かったわけではなく、落ち目になったこともあり、死後に評価が高まった面もある。
そのチャップリンとは「ライムライト」で共演している。
キートンの1925年の作品「キートンのセブン・チャンス」は、27歳の午後7時までに結婚すれば700万ドルの遺産が相続できることになったキートンが恋人に求婚したところ、金目当てだと思われるのがイヤだと言われ断られる。破産寸前でどうしても700万ドルが欲しいキートンは新聞広告を出すと、全米から花嫁候補が殺到するというコメディ。
私は、金目当てだと思われても、700万ドルと、否、キートンと結婚したい。