みゆき野球教室

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ペーパー・チェイス The Paper Chase

人生のうちの数年間、知的訓練を受ける機会があって良かった。やっている時はかなりキツかったが、有形無形の財産になっている。特に、仕事をする上での能力は格段に向上した。
私は前にも書いたが、学齢期に高等教育を受けられなかった。社会に出たあとにお金を貯めて働きながら大学に通った。仕事との両立は困難だったが、学ぶことは楽しかった。
 
日本では18歳で大学に入り、22歳で卒業すると、なかなか学び直しの機会がない。海外では歳を取っても学び直しのための道が整っていると聞く。日本でももっと学び直しの機会があればいいと思う。
もし、私がもう一度大学や大学院で学ぶなら、お金にならない分野の勉強がしたい。経営学のような実学に近い分野は、すぐに実社会で役立てることができるが、すぐに役に立たなくなる。
 
日本の大学生は、遊んでばかりで勉強しないと批判する人がいる。しかし、私が卒業した三流大学でさえ授業には15コマ全てに出席が求められ、遅刻や早退は一切認められなかった。その上、レポートや論文の成果物の提出とプレゼンテーション、単位認定試験があり、その全てが揃ってやっと2単位が与えられる。他の大学でも同じだと思う。
昔は、授業に一切出なくても、試験だけで単位が認められてた時期があったようだが、今は文部科学省の方針が厳しくてそんな大学は存在できない。だから、遊んでばかりという批判は間違いだ。
 
日本に比べ、アメリカの大学はもっと厳しいと聞く。私はアメリカでの学生時代を経験していないので、知識として知っているに過ぎないが、おそらくは正しいだろう。
アメリカでは、最低でも学士の学位を持っていないとスタートラインにつくことができない。だから、みんな必死で学ぶというのは良く理解できる。
 
「ペーパー・チェイス」は、エリートコースのハーバード・ロースクールで試験やレポートに追いかけられる若者を描いた。
死ぬ気になって勉強しても脱落する者が多く、自殺する者もいた。やっと勝ち抜いても人間的な大切なものを失ったと感じる者も多かった。
 
ラストシーンが印象的だ。恋仲になった教授の娘と海で楽しんでいた。その日は卒業試験の成績発表だった。送られてきた成績の中身を見ずに、紙ヒコーキにして海に飛ばした。それは、人間性を回復するんだという意思の表明だった。
 
いつか、機会があればアメリカで学んでみたい。もちろん、厳しいのはゴメンだが、温めの釜茹で程度の厳しい大学で。