みゆき野球教室

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のるかそるか LET IT RIDE

競馬の世界に、次のような格言がある。
 
皐月賞は速い馬が勝つ。ダービーは運のいい馬が勝つ。菊花賞は強い馬が勝つ」
 
日本競馬の七不思議に、柴田政人騎手は長い間ダービーに勝てなかった。彼は、ダービーに勝ったら騎手をやめてもいいと話していた。その後、ウイニングチケットで念願のダービージョッキーとなった。しかし、落馬負傷で本当に騎手をやめることになる。
 
光の当たらなかった苦労人の小島貞博は、ミホノブルボンダービージョッキーとなり、スター騎手の仲間入りをした。その後騎手を引退して調教師として厩舎を経営していたが、自ら生命を絶った。
 
アイネスフウジンの豪快な逃げ切りで競馬の流れは変わった。彼がウイニングランをしていると、スタンドから「ナカノ、ナカノ」というコールが起こった。その声は次第に大きくなり、全観衆が声を合わせてアイネスフウジン中野栄治騎手を讃えた。これまでの競馬では、こんなコールはなかった。
アイネスフウジンの馬主は、晴れてダービー馬のオーナーとなった。「一国の宰相になるより、ダービー馬のオーナーになる方が難しい」と言ったのは、自身も馬主だったウインストン・チャーチルだっただろうか。
その馬主は、ダービーの数年後、ホテルで生命を絶った。
 
このように、ダービーはいろいろな人の運を左右する。これを機会に飛躍する人もいれば、運を使い果たす人もいる。
 
人生は運だ、と言うと「いやいや、努力だろう」と反論される。確かに、努力は必要だが、運がない人はいくら努力をしても報われないし、努力ができる環境にいることも運がいいからではないだろうか?
 
運の総量はみんな等しいという人がいる。私はそう思わない。生まれてすぐに親に殺される赤ちゃんの運と、運が悪いと嘆きながら生きている私を比べれば、圧倒的に私の方が運がいいだろう。
 
運を侮ってはいけない。自分の運の持分の中で生きていかないといけない。高望みをすると、そのツケを払うことになる。また、運がない人に「努力が足りない」と言ってはならない。そんなことを言う人は努力ができる環境に生きることを許された人だ。
 
LAのタクシードライバーのトロッターは、ある日競馬の八百長情報を得る。その情報をもとに、その馬に賭ける。見事にそれが当たり、トロッターは今日はツイていると感じる。彼は、運を総動員して、その後のレースをすべて当てて、大金持ちになる。
この映画の舞台となったのは、LA郊外にあるサンタアニタ競馬場だ。日本から最強馬と言われたシンボリルドルフが遠征した競馬場として知られている。第二次世界大戦中は、日系人をこの競馬場に強制収容した悲しい歴史がある。
そのサンタアニタ競馬場で繰り広げらる上質なコメディだ。
日本の映画なら、最後の最後で馬券が外れて、やはり悪銭身につかずだ、という教訓めいた映画になるか、結局は夢だったというオチになるが、この映画は競馬で成功するまでを描いていて好感が持てる。
 
トロッターは、努力でこの成功を勝ち得たのではない。彼は常に運だけで勝負する普通の競馬ファンだった。独自に必勝法を持っていたわけでもなく、研究熱心だったわけでもない。ただ、運だけで大金持ちになった。
 
私もカリフォルニアの競馬場では、ツイていると思う。これまで何度も勝負しているが、その収支は大幅プラスだ。
 
さて、私は前述の通り、運が悪い。先日、仕事に関しての敗者復活の機会が与えられたとこのブログでも書いた。その戦いに勝つために、最大限の努力をしたが、結局は会社から選ばれなくて、再び無職になった。今回に限っては、私ががんばった。だが、運がなかった。
次のチャンスには、必ず勝つようにまたがんばるつもりだが、チャンスが巡ってくるか否かは、やはり運次第だ。