みゆき野球教室

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CF愚連隊

シナリオ修行をしていた若い頃、制作の現場に入りたくて模索した。

当時は映画は完全な斜陽産業で、撮影所が助監督を採用することは無くなっていた。したがって、選択肢は二つしかなかった。
一つはロマンポルノに行く。前に書いた通り、当時はロマンポルノで修行して後の名匠になった例もある。
もう一つは、CFに行くこと。バブル全盛期だったので、予算が無尽蔵にかけられるCFは魅力的だった。しかし、CF業界に偏見があった。チャラチャラしている、そう感じた。
もし、チャラチャラしたものを受け入れていれば、とっくにテレビの世界に入ったはずだ。
 
映画人というのは、変なプライドがあり、テレビを目の敵にしていた。私も同様だった。六本木に住んでいたのでテレビのロケをよく見かけたが、映画のように「よーい、スタート」ではなく「5秒前、4、3、2、1」と指を折って撮影するスタイルを心の底から軽蔑していた。また、アルバイトで放送局に出入りしていたが、ありがたいとは思わなかった。
今思えば、そのプライドが人生を狂わせた。テレビの世界に入って、そこから頭角を現して映画を撮る道があったはずだ。実際、この頃からテレビ局は映画製作にも乗り出し、テレビ出身の映画監督が才能を開花させた。
 
シナリオを書いても満足なものが書けず、制作現場にも入れなくて悶々としていた時、テレビで「CF愚連隊」を見た。この映画は、日本テレビ水曜ロードショーのために制作された映画で、長谷部安春が監督し、佐藤浩市が主演した。30秒のCFのために命をかけるCFバカ達の活躍を描いた。
原作はCFディレクター出身の喜多嶋隆で早速六本木の誠志堂書店で買い求め、一気に読んだ。余談だが、誠志堂は六本木の待ち合わせの名所だった。まだ携帯電話が普及する前、人々は決まった場所に決まった時間に行き、待ち人を待った。来ないので公衆電話に電話をかけに行った時に現れ、結局すれ違いになることもあった。
 
私はこの作品でCF業界の偏見をなくし、制作会社の門を叩いた。住んでいたアパートの近くにはCF制作会社はいくつもあった。しかし、私を採用する会社はなかった。
 
友達で「CF愚連隊」に感銘を受けてコピーライターを目指した人がいる。彼はまず広告制作会社に未経験でも育ててくれることを条件にデザイナー見習いとして就職した。そして今はコピーライターとして多くの広告を手がけている。一時期、彼の成功を妬んだ時があった。でも、今は素直に祝福できる。
 
喜多嶋隆の小説はたくさん映像化された。しかし、「CF愚連隊」を除いてことごとく失敗している。特に、橋本以蔵が監督した「CFガール」は酷い作品だった。
喜多嶋隆の世界は、すでに小説で完成しているので、映像化は難しいだろう。
 
喜多嶋隆の小説は、湘南、ハワイ、カリフォルニア、六本木と私に縁が深い場所が舞台になることが多い。また、オムライスやメンチカツといった大好きな洋食もよく出てくる。これからも彼の作品を読み続けたい。66歳の老骨に鞭打ってがんばってもらいたい。