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セーラー服百合族

日本で映画や演劇、アニメーションなどの産業が発展しないのは、いくつか理由がある。

まず、教育システムが充実していないこと。「映画は教えられるものではない」という言葉は映画界でよく聞く。しかし、映画を教えられる映画人がいないだけではないだろうか? 自分の能力が欠如していることを棚に上げて発言しているに過ぎない。
 
ご存知の通り、日本以外の国には国立の映画大学、演劇大学がある。日本では国立の東京芸術大学が大学院で映画教育を2005年から始めているが、学部レベルでは皆無である。したがって、映画を志す若者は日本大学芸術学部日本映画大学(横浜放送芸術学院→日本映画学校日本映画大学)に進むか、施設や教員が充実していない専修学校各種学校に進むことになる。しかし、これらの学校に行っても、なんの保証もないフリーのスタッフになれればいいほうだ。
やはり、国立の映画大学、演劇大学が必要だ。
 
もう一つの問題点は、人材を安く使いすぎること。映画でも演劇でも、アニメーションでも食べていくのは至難の技だ。結局、親から仕送りが受けられる裕福な人たちでないと続かない。最近はもっとひどく、スタッフにしてもエキストラにしても「応援」や「ボランティア」などという無料奉仕の人材を使うことが多い。営利事業なのでボランティアなんてあり得ない。海外では、エキストラでも生活ができるギャランティが支払われる。
人を安く、あるいは無料で使うということは、人が育たない。
 
上記ふたつが私が考える問題点だ。制作の世界だけではない。興行の世界でも人を安く使うことが当たり前になっている。もし、本気で産業として伸ばしていきたいなら、人件費はケチるべきではない。
 
さて、映画監督になるためには、かつては撮影所というシステムが機能していた。才能ある優秀な若者は、撮影所に入り助監督から監督になる道が整っていた。しかし、映画が斜陽となった後は、撮影所のシステムが崩壊した。その後はにっかつロマンポルノが若い才能を伸ばす役割を担った。ロマンポルノ出身の名監督は多い。だが、ロマンポルノが製作されなくなると、次は自主映画出身の監督が台頭するようになった。さらにはCFから、作家から、ミュージシャンからという異業種からの進出も目立つようになった。
 
那須博之は、ロマンポルノ出身の監督のひとり。彼が監督した「セーラー服百合族」は、レズビアン百合族というようになったきっかけの作品。私は若い頃に観たが、とても美しい作品だった。残念なことににっかつロマンポルノはこの作品しか観ていない。全盛期にもっと観ておくべきだった。
ロマンポルノは厳しい予算と制約の中、映画としてのクオリティを維持しなければならず、監督にとってはいい修行の場になった。
 
日本は映画にとっても演劇にとってもエンタメ業界にとっても不幸な国だ。若い才能を育て、産業として育って欲しい。
 
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