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春男の翔んだ空

「土曜ワイドラジオTOKYO 永六輔その新世界」が25年間の放送を終えた。私は番組の最初の頃からのリスナーだ。

永六輔の功績は改めて書くまでもないだろう。彼は放送界の良心だった。現在は難病と闘いながら現役を続けている。高齢だが、いつまでも元気で活躍してほしい。
 
今日は永の話題ではなく、「土曜ワイド」で最後のアシスタントを務めた外山惠理について書きたい。
外山が「土曜ワイド」のアシスタントになったのは2000年5月。外山がTBSに入ったのは1998年だからまだ新人アナウンサーと言ってもいい時期だ。当時の外山はどうしようもなくダメダメなアナウンサーだった。聴いていてもこの人で大丈夫だろうか? といつも思った。関係者も同じ思いだったようだ。しかし、永は「長い目で見てほしい」と言って外山を擁護し、教育した。永の期待に外山も努力で応えた。そして月日は流れ、外山は「土曜ワイド」には欠かせない存在になったばかりではなく、TBSラジオにとっても余人をもって替えがたいアナウンサーになった。
 
彼女がいいのは、向島の団子屋の娘で江戸っ子ということ。これが彼女の気性や語り口に表れ、落語などの古典芸能を語るときにマッチしている。「土曜ワイド」のアシスタントになった時、彼女はおそらく寄席にはあまり行っていなかったことだろう。しかし、永と接するうちに積極的に寄席にも通うようになり、今では落語の番組も持っている。ここにも、努力家の外山らしさがある。
 
永には実の娘がいるが、外山は実の娘よりも永に近い存在になった。心配なのは、この先必ずやってくる永が亡くなった時。永ロスを乗り切ってほしい。
 
「春男の翔んだ空」は、永が今よりも若い頃に主演した映画。障害者教育に尽力した野杉春男の伝記映画。演技には素人の永が体当たりで挑戦した。
この作品は、単なる福祉映画ではなく、映画としてしっかりと作られている。
主人公の野杉春男は、昭和47年11月29日、モスクワのシエレメチエオ空港で墜落した日航機に乗り合わせており、犠牲となった。
監督は山田典吾。私は高校生の頃、彼が監督した別の作品の撮影記をキネマ旬報に投稿し、それを読んだ監督に試写に招待してもらった思い出がある。その時に色紙に書いてもらったメッセージは今でも忘れない。「涙の爆発力、それが明日を作るのさ」というものだった。
 
今日は大好きな永ちゃんについて書いた。「土曜ワイド」は漫才師のナイツに引き継がれることになった。永と外山は月曜日に始まる新番組「六輔七転八倒九十分」に移る。これは「土曜ワイド」よりも短いが生放送だ。いつまでも永ちゃんのラジオが聴けるように、神様にお願いしよう。