みゆき野球教室

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42 〜世界を変えた男〜 42

アメリカが好きだ。アメリカが大嫌いだ。

自由の国アメリカは同時に差別の国だ。白人は生まれながらに特権を持ち、それ以外の肌の色を持って生まれれば、その瞬間から差別の対象となる。いくら才能を持っていても、血の滲むような努力をしてもそれは変わらない。それ以前に、白人以外は努力をする環境が与えられない。
 
アフリカにルーツを持つアメリカ人は戦争で勇敢に戦い祖国に貢献した。しかし、戦争が終わり国に帰ってきた彼らに待ち受けていたのは、そんな差別の現実だった。命をかけて戦ったのに、現実は変わらなかった。公共の場所では白人用と有色人種用の二つに分けられている。白人は彼らの生活を脅かし、時には命すら狙われることもあった。何の落ち度がなくても、ただ肌の色が黒いからといって。良識を持っているはずのクリスチャンも同様に彼らを差別した。
 
人種差別はアメリカの最も恥ずべき出来事だ。これは、歴史ではなく、現在も続いている。丸腰の黒人青年を白人の警官が複数人で射殺しても問われる罪は軽い。無罪になるケースすらある。
そんな病んだアメリカだが、北部の教養のある人たちを中心にこの状況を良しとはせずに変えていこうと努力した。ここに病んではいるが同時に健全性を持ち合わせているアメリカがある。
また、過去の過ちを正面から見つめ、反省しそれを批判する勇気も持っている。
日本はアメリカの劣化コピーと言われる。どうしようもなくダメなアメリカの方が日本よりはいくらかマシだと言える。
 
まだ差別が色濃く残る1945年。当時は黒人はメジャーリーグはおろかマイナーリーグでもプレイできなかった。代わりに彼らに与えられた環境は全米を巡業して回る黒人だけのリーグだ。そこでプレイする選手は400人。しかし、そこから一人抜け、399人になった。
UCLAで4つのスポーツで活躍し、軍隊でも活躍したジャッキー・ロビンソンはそんな400人のひとりだった。しかし、彼が他の選手と違ったのは、相手投手の配球を読み、超人的な盗塁を決めることだった。打っても長打を量産し、リーグの中で際立っていた。
 
ブルックリン・ドジャースの敏腕ゼネラルマネジャーのリッキーは、必ず黒人選手が活躍する未来が来ると確信し、ジャッキーを獲得する。しかし、黒人がひとりもいない「野球界」は彼の入団を快く思わない。誤算だったのは同じチームの選手からも彼は嫌がらせを受ける。
リッキーは彼に紳士であれ、良き選手であれと命じる。そうすることによって、きっと彼は受け入れられると思ったからだ。しかし、彼も生身の人間。軽率に怒りをぶつけないように努力しても、どうしても我慢できない時もある。それでも彼は堪えた。
 
やがて、彼のプレイは周りの空気を変えていく。白人の少年も彼のプレイを真似、憧れの選手として慕うようになる。
彼は、アメリカの野球の歴史を変えた。今では、黒人の選手は大活躍している。
毎年、4月15日は、グランドにいる全ての選手が背番号42をつけてプレイする。そして、その背番号42は全米のすべての野球チーム、リトルリーグからプロに至るまで永久欠番になっている。
 
この映画が終わった後、客席から拍手が起こった。私も拍手をした。日本では珍しい現象だ。内容も良かったが、映画的にもとてもよく作られている。
 
さて、ジャッキーは努力によって黒人の地位向上を勝ち取った。しかし、これは落とし穴がある。前述した通り、有色人種は努力をすることすら認められないことが多い。そうすると、努力できなかった人は人権を含む人間としての権利が与えられないことになる。だが、当たり前のことだが、これはどんな人にとっても生まれながらに持っている権利だ。努力しようがしまいが。この映画を観る時は、そんなところに注意して観て欲しい。
 
もう一度書くが、アメリカはこのような恥ずべき出来事を正面から向き合う勇気を持っている。一方、劣化コピー版の日本では過去を都合のいいように修正する。
保守の皆様方は、日本は世界一優秀で日本人は世界中で尊敬されていると信じている。これは、海外で生活していれば全く根拠がないことを知るだろう。日本人が受け入れられているのは、カネを持っているからだ。世界中の多くの人は、日本がどこにあるか知らないし、日本人は差別の対象だ。それなのに、日本人は偽物の優越感で在日朝鮮人や中国人を差別する。障害者や貧困で苦しんでいる人を差別する。性的少数者を差別する。アメリカは狂っているが、日本より、日本人よりはるかにマシだ。