みゆき野球教室

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禁じられた遊び Jeux interdits

中学生の頃、他の子と同じようにギターに興味を持った。

若者が読む雑誌には、日本ギターというギターの通信販売の広告がいつも掲載されていた。私は白いフォークギターに憧れた。また、ギターの通信教育の広告も、何度も何度も繰り返して読んだ。
ある日、そんな通信教育の広告でクラシックギターを勧める文章を読んだ。ジャラジャラと掻き鳴らすだけのフォークギターと違って、一本一本弦を爪弾くクラシックギターの方が奥深いと書いてあった。それまで、クラシックギターの存在を知らなかったので、目が開かれた思いがした。
以来、クラシックギターの虜になった。私もギターが弾けるようになりたい。そう思ったが、ビンボーだったのでギターを買ってもらうことも、習いに行くことも出来なかった。
 
高校に入るとギターを買ってもらう約束をしたが、それは果たされなかった。その代わりに、中古のクラシックギターを与えられた。まったく音が響かないどうしようもない代物だった。それでも、ヤマハクラシックギター教則本を買ってきて練習をした。素質がないのか、ちっとも上達しなかった。
その頃、NHK教育テレビでは楽器の講座があり、何曜日だったか忘れたが、「ギターをひこう」という番組があった。クラシックギターの大御所が講師を務めていたが、私はアントニオ古賀が好きだった。彼の影響でフラメンコギターも好きになった。
 
大人になり、やっとギターを習いに行くことができた。当時、街のいたるところに看板があり、知名度ナンバーワンの新堀ギターに入会した。最初のレッスンで今まで独学でやってきたレベルを一気に上回り、独学の限界を知り、独学を否定するようになった。
残念なことに、長く続けることはできなかった。今でも、クラシックギターを再開したいと思っているが、住宅事情がそれを許さない。
 
ギターを弾く人が、必ず通る道、それは「禁じられた遊び」を弾くことだろう。今ではどうかは知らないが、私たちの世代は間違いなくこの道を歩んだ。私はこの曲が弾けない。だけど、この映画については語ることができる。
 
1952年に作られたこのフランス映画は、戦争によって孤児となった幼い少女と彼女を引き取った貧しい家庭の少年の交流を描いた。
まだ死ということがよくわからない少女は、少年によって死んだら墓に埋めることを教えられる。そして、ナチス・ドイツの戦闘機による機銃掃射で両親とともに命を失った愛犬の墓を作る。墓には十字架が必要で彼らは他人の墓から十字架を盗むだす。やがて、この遊びはばれてしまう。
 
この映画で覚えていることといえば、機銃掃射でたくさんの人が死ぬ場面の残酷さ、少女が引き取られた家で出されたミルクにハエが入っていた場面、この貧しい家庭の長男が馬に蹴られて死ぬという設定、そして、ナルシソ・イエペスによるギターの主題曲だ。最後に観て、もう30年以上経過しているが、それらははっきりと覚えている。
 
もし、戦争がなければ、少女はパリで両親とともに暮らし、美しいレディに成長していただろう。少年も十字架を盗むという罪を犯さなかっただろう。失われてはならない命が奪われ、人生が大きく変化することを迫った戦争を二人の子供を通して批判している。
 
少女役は名子役のブリジット・フォッセー。彼女はとてもかわいくて、憧れだった。子役をやめたが、20歳の時に復帰して美しい姿をスクリーンに残している。
 
私は子供の頃から一貫して戦争を否定してきた。それは映画の影響が大きい。映画で見る戦場はかっこいいものばかりではない。悲惨な戦場が多い。実際は、もっと過酷で悲惨なはずだ。映画を観ることでそんな想像力も身についた。
しかし、このブログで何度か書いた通り、今の日本は70年間の平和を捨てて再び戦争へと突っ走っている。近いうちに多くの日本の若者の血が流れるだろう。また、たったの一人も殺さなかった自衛隊が海外の地で人を殺すことになるだろう。
この流れを食い止めるために、多くの若者が国会前に集まっている。しかし、その声は独裁者には届かない。
日本はもう一度負けないと、目が覚めない。