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人情噺 文七元結

早朝の地震は怖かった。というのも、私にはたまに当たる未来予知の力がある。9月9日から3日以内に沼津の辺りで大地震が起こると予言していたからだ。だから突然揺れたときは、いよいよその時が来たと思った。幸い、一番揺れた地域で震度5弱で大きな被害はなかった。

 
地震で眠れなくなり、そのまま家を出た。教会に行くために。十分余裕を持って出かけたが、地震の影響で電車が運休や大幅な遅れで運行していた。いつもは30分で着く道のりも、1時間以上かかり遅刻は確定。こんなことなら無理をせずに家で寝ていれば良かったと思った。
 
やっとのことで教会に着くと、まるで私を待っていたかのように集いが始まり、私の司祭が話し始めた。間に合ったんだ。寝ていれば良かったと思って神様ごめんなさいと心の中でつぶやいた。
司祭は、今朝バチカンから帰ったばかりだった。ヨーロッパで見聞きしたことを話してくれた。やはり難民問題が深刻だそうだ。カトリックでは教皇フランシスコが難民を積極的に受け入れるように指示している。
難民問題は日本に住んでいたら遠い問題だ。しかし、日本にも難民申請をしている人が多くいる。残念なことはその訴えが認められたのはごく一部だ。彼らが収容先で人間の尊厳を否定されているということもよく聞く。
 
私たちは難民問題をより身近に捉えることが必要だと思う。しかし、司祭は言った。難民問題も大切だが、それよりも身近にいる困っている人たちに親切にし、必要なら援助することがもっと大切だと。確かに、私たちは大きな問題は関心を寄せるが、身近な人の問題には無頓着なことが多い。でも、隣人が家族だったらと思えば、放置できないはずだ。
日本には昔から美しい言葉と習慣がある。「情けは人の為ならず」。人に親切にすることは巡り巡って自分に返ってくる。残念なことに、最近では他人に情けをかけるとその人のためにならない、と間違って覚えている人が多い。
 
腕はいいが博打で作った借金で首が回らなくなった左官の長兵衛は、長屋に帰ると女房のお兼が泣いていた。訳を聞いてみると、一人娘のお久がいなくなったという。お久は自ら女郎屋に行き、金を作って父親に改心して欲しいと思っていた。女郎屋の女将は、お久を預かり行儀作法を教えるという。長兵衛に50両という大金を渡す。このお金を次の大晦日までに返さないと娘を女郎として店に出すという。そして、お久が身を売ってまで長兵衛の改心を願っていることを忘れず、博打はやめて仕事に精を出して娘を迎えに来いという。
己の不甲斐なさを悔いて、必ずお久を迎えに行くと言い残し、手にした50両を持って吾妻橋を通りかかると、身なりのいい若者、文七が身を投げようとしていた。事情を聞くと集金した売掛金をなくした、死んで主人にお詫びをしたいという。
長兵衛はこの金をやるから死ぬなと言って、その場から逃げる。お久は女郎になっても死ぬことはないが、文七は死んでしまう。長兵衛は泣きながら長屋に帰ったが…。
 
これは、三遊亭円朝が創作した「文七元結」という人情噺だ。私はこの噺が好きで、いつも泣いてしまう。
歌舞伎でもこの演目は「人情噺 文七元結」として2007年に勘三郎主演で上演された。
私は落語も好きだが、歌舞伎も好きだ。しかし、テレビで観る以外に歌舞伎との接点がなかった。歌舞伎座は敷居が高いと思っていた。
そんな時、この演目が山田洋次の演出で映画になった。それがシネマ歌舞伎だ。私も、松竹本社が同居する東劇に観に行った。大きなスクリーンで演じられる歌舞伎は面白かった。勘三郎の名演技、お久役は私が大好きな女形、芝のぶ。彼女は可憐で美しい。
この作品と接して以来、私は歌舞伎座にも通うようになった。できれば、シネマ歌舞伎ではなく生でこの芝居を観たいが、勘三郎はすでにこの世にいない。
 
歌舞伎座が新しくなって、まだ行っていない。そろそろ歌舞伎座の一番安い席から芝居を観たい。
 
 

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