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復讐するは我にあり

だいぶ前のことだが、テレビの特集で報道カメラは見た、的なものをやっていた。いろいろな事件を報道したテレビのニュース映像とその裏話を紹介していた。その中で、山中で行方不明になった少年を地元の消防団などが捜索するというものがあった。
少年がいなくなって数日経ち、誰もが諦めたその時、少年が見つかったという一方が入る。その時、画面の隅にいた記者かカメラマンが小さくガッツポーズをする場面が写し出された。そのとき私は、人間っていいなと思い、熱いものが頬を伝わった。

今日、国会前には戦争法案に反対する人がのべ35万人集まった。また、各地でも同様の集まりや行進があった。この手の集まりがあると、通常は警備をする警察は参加する人に厳しい。最近も、過剰警備で権利を制限する行為があり批判されていた。しかし、今日は警察も参加者に好意的だったと聞く。民主主義が危機にある今、警察官もひとりの人間として何かを感じていたんだと思う。
私も今日のデモに参加しようと思ったが、体調不良で断念した。しかし、気持ちは国会前にいた。

私は自己肯定感が低い。これまでは自分も自分のこれまでの人生も否定していた。しかし、ひとりの女性と出会うことにより、それらを肯定できるようになった。すると、すべてが好転してきた。
これからは、出来なかったことにも挑戦して、より良い人生を取り戻したいと思っている。

映画を観るということは、ニンゲンを見ること、他人の人生を疑似体験することに他ならない。それらを通して、豊かな人生を送ることができる。だから、私はニンゲンを描いた映画が好きだ。
ニンゲンを描かせたらこの人の右に出るものはないと思うのは、日本では今村昌平が最右翼だろう。

復讐するは我にあり」のファーストシーンは、1964年1月4日の場面から始まる。この日は、私がこの世に生を受けた日でもあるが、主人公の榎津巌(えのきづ いわお)が逮捕された日でもある。
榎津はカトリック教徒である。しかし、彼は詐欺と連続殺人で指名手配されている。巧みな話術で女を騙し、殺害する。神を信じる彼が、なぜ犯罪を犯すのか。その複雑な人間性を今村は丁寧に描いている。
榎津の父も同様にカトリック教徒だ。彼は、榎津の妻と許されない愛に溺れてしまう。三国連太郎演じる父が、倍賞美津子演じる息子の嫁の巨乳を鷲掴みにする場面は、人間の業の深さを描ききった。
結局、榎津は逮捕され死刑になるが、やはり最後の最後まで信仰を持つものの犯罪に複雑な思いを持ってしまう。というのも、私も同じくカトリックの信仰を持っているからだ。

この映画のクレジットに、横浜放送映画専門学院の校名が入っている。これは今村昌平が作った映画学校だ。私もここで学びたかったが叶わなかった。正確に書くと、この学校に入るために願書を書き、提出する直前に他の映画学校に変えてしまった。今も昔も、私は重大な意思決定で間違った選択をしてしまう。
今村の映画学校は、1年次に農村に寝泊まりして農業に従事する実習がある。これは、ニンゲンやものづくりとは理不尽なものであることを体験を通して学ぶためだ。確かに映画作りは報われないことの方が多い理不尽なものだ。これらの教育を通して、ニンゲンを描ける作家性の開眼を目的としている。
私もこの学校で学んでいたら、監督にはなれなかったとは思うが、もっとマシな人生を歩めていたと思う。
横浜放送映画専門学院はその後、3年制の専修学校である日本映画学校になり、今は日本で唯一の映画単科大学日本映画大学になっている。
私は、数年前にこの大学を出て監督デビューした若者に試写に招かれ、上映後インタビューする機会を得た。この映画については機会があればいずれ書きたいと思っている。

長々と書いたが、今日の記事を一言で言えば、ニンゲンが好きだってこと。