みゆき野球教室

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ロッキー ROCKY

早起きが苦手だった。

それなのに、高校生の時は映画を観るお金を作るために新聞配達を3年やった。
起きられずに、販売所から電話がかかり、出かけていくことも多かった。
 
新聞配達というのは過酷な労働だ。高校生のアルバイトくらいならいいが、新聞奨学生として学業と両立させるのは至難のわざだ。多くの場合学業がおろそかになり、そのまま新聞販売店で専業として働くか、夜逃げをすることになる。また、うつ病などにかかるケースもとても多い。ギャンブルや女に入れあげて集金した金を使い込み破滅するケースも多い。
4月、地方から目を輝かせて上京した若者が、半月くらい先には死んだ魚のような目をして働いている姿を嫌というほど見た。
 
「ロッキー」は、ヤクザな三流ボクサーが、世界チャンピオンに挑戦する機会を得て、人間として再生するまでを描いた名作だ。
当時、無名の俳優だったシルベスター・スタローンはこの映画の成功でスターの座を手に入れた。また、低予算映画ばかりを撮っていた監督のジョン・G・アヴィルドセンは巨匠に、美しい音楽を書いたビル・コンティも、この作品をきっかけに花開いた。出演者にとっても、スタッフにとっても「ロッキー」は自らのサクセスストーリーの始まりだった。
 
ロッキーが初めてトレーニングに出る朝の場面が好きだ。厳しい寒さのフィラデルフィアの早朝。ロッキーが街を走る。新聞を乗せたトラックが新聞スタンドに新聞の束を落とし去っていく。この場面の色彩の美しさ。さらには、ビル・コンティによる「フィラデルフィアの夜明け」が静かにかかる。おそらく誰も注目しないような場面だが、私の映画人生で観た最も美しい場面の一つだ。
 
初めてアメリカに行ったのは、1988年だった。
当時私はひどいうつ病を患っていて、生きるのがとても辛かった。それを見かねた友人がアメリカに連れて行ってくれたのだ。
私にとっての最初のアメリカはサンフランシスコだった。「太平洋の女王」とも呼ばれたこの美しい港町に私は一瞬で恋をした。
ある朝、私は早朝にホテルを抜け出した。友達が起きないように静かに。「ロッキー」で観たあのフィラデルフィアの朝のような景色が見たくて。怖くはなかった。私は見えない何かに導かれるまま、歩いた。幾つもの坂道を登って降り、海まで歩いた。
残念ながら、起きた時にはあたりは明るくなっていたので、映画の再現にはならなかったが、私にとっては生涯忘れることのできない体験だった。
 
ビル・コンティによるオリジナル・サウンドトラックは新聞配達のアルバイトで買った。レコードが擦り切れるまで何度も聴いた。
いつか、フィラデルフィアに行き、ロケ地巡りをしたい。その時は、頭の中でビル・コンティの音楽が流れるだろう。