みゆき野球教室

ダメ人間の由佳さんが毎日0時に更新しています

ジーザス・クライスト・スーパースター Jesus Christ Superstar

今年も半分終わろうとしている。
失意のうちに新年を迎えた。年越しの瞬間は、教会にいた。外国人向けのミサに出席した。陽気な司祭の新年の挨拶でミサが始まった。1時間後、南半球にある彼の祖国の年明け。再び新年の挨拶をみんなで交わす。
 
絶望しかなかった。なんとか気持ちを立て直し、目標を立てた。映画館で50本の映画を観る。だが、まだ8本で未達。
失意は、今でも解消されないまま。生きていてごめんなさいという状態だ。
 
今年はあまり教会に行けていない。教会に行くというのは、心身ともに元気でないといけない。「元気な人お断り」と言った司祭がいたが、病んでいると教会は遠い。
 
日本ではテレビジョンやインターネットでのミサや礼拝がほとんど行われていない。もっとこれをやってくれれば、救われる人はたくさんいる。
しかし、敬虔な信者と称する人の中には「ネット礼拝は邪道。どんな事情があっても正装して時間通りに教会に行き、祈りを捧げるべき」という人が少なからずいる。なんたる驕り。日本でも世界でも、事情があって教会に行けない人は山ほどいる。入院している人、施設で暮らしている人、避難所にいる人、そして近くに教会が無い人もいる。特にアメリカやオーストラリアではクルマで1日以上走らないと教会が無い場所はたくさんある。
 
キリスト教の本質は、教会に行くことでも祈ることでも献金することでも無い。ただ一つ、イエスが救い主であると信じることだけだ。ついでに言うと、洗礼も関係無い。洗礼を受けていなくても、イエスが救い主であると信じれば、それでいい。それ以上求める教会・教団はカルトだ。
 
ジーザス・クライスト・スーパースター」は、イエスの最後の7日間を描いたロックオペラ。この作品は、保守的なキリスト教関連の団体から上映禁止の圧力がかかったり、信者に対して鑑賞禁止の命令が出るほど物議を醸した。
私は、高校生の時に観たが、やはり教会からは観に行ってはならないときつく言われた。まだ、カトリックの一員になる前だ。
聖書に忠実ではないかもしれない。でも、考えさせられる1本だ。
 

人生スイッチ Relatos salvajes

私は日頃から運について考え、発言している。運がないと、何をしてもダメだと考えている。これに対して、多くの人は努力の方が必要だと反論する。だが、運がないと努力できないことも再三書いた。
 
競馬の宝塚記念が行われた。1番人気は2冠馬のドゥラメンテ。2番人気はファン投票1位で菊花賞天皇賞(春)を勝ったキタサンブラック
ここはドゥラメンテの力が数枚抜けている。しかし、私はこの馬は勝てないて思った。東京優駿日本ダービー)で運を使い果たしたと思ったからだ。ダービー後に不運に見舞われる人馬を多く見てきた。この馬も、そうだと思った。ダービー後に骨折、復帰戦は勝ったものの海外遠征では出走前に蹄鉄が外れて、2着に敗れた。今回も不運により勝てないと思った。
 
馬券はキタサンブラック単勝を買った。逃げてゴール前粘るところ、マリアライトに交わされた。外からはドゥラメンテも来ている。結局、3着だった。ドゥラメンテはよく追い込んできたものの2着。やはり、運に見放された馬はこうだと思った。
だが、悪夢はこれからだ。ゴールを過ぎて、ドゥラメンテの騎手ミルコ・デムーロが下馬した。故障発生のようだ。そして、馬運車に乗って運ばれて行った。いくら運に見放されたといっても、この仕打ちは厳しすぎる。本稿を書いている時点でまだ故障の状態は判らない。予後不良安楽死になることも考えられるし、競走能力喪失で引退することもあり得る。無事であっても、休養は避けられず、秋に予定されているフランスの凱旋門賞挑戦のプランは白紙になるだろう。どうか、命だけは助かってほしい。
 
不運は連鎖する。
「人生スイッチ」は、そんな不運の連鎖を描いたアルゼンチンの映画。ほんの些細な不運が大きな不運を呼んでしまう。6つのエピソードでそれを描いた。
人生には、決して押してはならないスイッチがある。
 
新しい1週間が始まった。今週は、どうか無事に過ごさせてもらいたい。
 

3人のエンジェル To Wong Foo, Thanks for Everything! Julie Newmar

最近はLGBTに対しての認知も理解も少しではあるが深まったように感じる。少し前までは、差別されていたし、治療の対象であったり、国によっては死刑になることもあったし、今でも改善されていないところもある。
 
私も綺麗なおねいさんが好きなので、LGBTの一員だ。
 
アメリカでは6月はプライド月間で各地でパレードなどが行われる。今週末は、その中でも最大規模のサンフランシスコのプライドパレードが行われる。
私は若い時に、このパレードを見学した。この日程に合わせて渡航したわけではなく、たまたまというか運良くこのパレードを見ることができた。
当日は、マーケット・ストリートという一番の大通りに様々な人々が集まり、パレードを見物した。男同士のカップルや女同士のカップルも手をつなぎ、キスをしながら楽しそうに見物していた。彼らの着ている服は、性器だけを隠す刺激の強いものだった。女性たちはトップレスで乳首だけを隠したものだった。最初はビックリしたが、すぐに慣れた。
パレードで行進している人もいる、政治家、警察官、消防官、世界的企業の経営者などもいて、みんな自分のセクシャリティに誇りを持っているようだった。
 
日本でもプライドパレードなどが行われるようになったが、一部の当事者は、過激な衣装の参加者に苦言を呈している。しかし、綺麗な人からそうでない人まで含めてLGBTだ。排除するのではなく、みんなで手を取り合って差別を解消して、住み良い世の中を作りたいものだ。
 
「3人のエンジェル」は、アメリカの3人のドラッグ・クイーンがニューヨークからハリウッドまで旅をするロードムービーだ。途中で対立があり、差別があり、涙もあるが無事にハリウッドにたどり着けるのだろうか?
 
この作品は「プリシラ」のアメリカでのリメイク版とされている。作品の質は「プリシラ」には及ばないが、私は本作の方が好きだ。
主演は「ゴースト/ニューヨークの幻」のパトリック・スウェイジ。彼はこの作品の数年後、57歳の若さで亡くなっている。
 
 ここで出てくるドラッグ・クイーンとは、女装のゲイということになる。ゲイなので性自認は男性で、恋愛対象は男性ということになる。もちろん、すべてこのように区分けできるわけではなく、ドラッグ・クイーンの中にも性自認が女性という例もあるだろうし、恋愛対象も女性ということもありうる。つまり、性というものは単純ではなくいろいろな種類が無数にあるということ。これは素晴らしいことだ。
 
ちなみに、同性愛は不自然で、種の保存の本能に反しているという人がいる。しかし「自然」の中には同性同士で性行動をとる動物、「性転換」を行う動物、「両性具有」の動植物、同性同士で子どもを育てる動物もいる。オス、メスのつがいで子育て、だけが自然ではない。自然は多様性に満ちている。つまり、そのように言う人は自ら「バカです」と自己紹介しているようなものだ。
 

海猿 ウミザル

広島県呉市は父の生まれた地で、私も何度か行ったことがある。幼稚園に入る前、父が入院することになり、呉の叔母の家に長期間預けられた。
当時の呉は、まだ呉線が電化されていなくて、C62やC59といった大型蒸気機関車が牽引する古い客車が走っていた。呉と安芸阿賀の間にあるトンネルはとても長く、煙やススが客室内にも入って来た。
 
叔母の家のキッチンは不潔で、おまけに水道の蛇口をひねれば白い水が出てきた。そのため、ご飯が食べられなかった。それがトラウマになり、今でも他人の家で作ったご飯が食べられないし、水道水が飲めない。
 
叔母は優しい人という記憶があったが、20年くらい前に父が死に、その後に久しぶりに会った時、差別的な発言をするのを聞いて、残念な気持ちになった。
 
去年の5月、広島訪問の際に呉に立ち寄った。一番の繁華街も人気がなく、景気後退の波は地方には深刻だと感じた。
 
呉を舞台にした映画は多い。この秋に公開が予定されているアニメーション映画の「この世界の片隅に」もそうだし「仁義なき戦い」という名作もある。以前取り上げた「モヒカン故郷に帰る」も呉市にある島が舞台だ。
今回は「海猿 ウミザル」を取り上げる。この作品は呉市にある海上保安大学校で潜水士になるために厳しい訓練に明け暮れる姿を描く。呉の街も随所に出てくる。
 
初めてこの作品を観た時、とても感動した。しかし、今ではその感動を返せと言いたい気持ちだ。その理由は、沖縄で基地移設反対派の市民に対して暴力で制圧しようとした写真を見たからだ。無抵抗の市民に対して首を絞めたり、小型のボートに激突したりと、とても海を愛するものがすることではない。
 

モダン・タイムス Modern Times

最近、よく泣く。辛くて悲しくて悔しくて。
生きているのが本当に辛い。人生には意味があるのか?
もしあるとすれば、辛いだけの人生って、どんな意味があるのだろう? むしろ、人生に意味がない方がスッキリする。天国もなく、神様もいなくて、死んだら全てが無になるならどんなにいいか。
 
映画では人生の意味を問いかける作品が多い。私はそれらを少々観すぎたようだ。人生に意味を求めてしまう。
 
チャップリンの映画には、運命に弄ばれ、社会から排除される弱い人たちが多く出る。「モダン・タイムス」もそのひとつだろう。
時代背景は、世界恐慌の嵐が吹き荒れ、仕事に就くことが出来ない暗黒の時代。合わせて、機械化による大量生産でニンゲンは機械の一部とされ、人間性も尊厳も否定される。
主人公のチャーリーは、大工場の工員としてネジを締めるだけの単純労働に従事していたが、ついに発狂して病院に収容される。
退院すると不況で工場は閉鎖され、仕事を失う。
ある日、チャーリーは親のいない少女と出会う。ふたりで一生懸命に生きて、自分の家を持とうとするが、世間の風は冷たかった。運命に翻弄され、涙を流す少女に、チャーリーは笑うんだ、と言いふたりはいつかやって来るであろう幸せに向かって歩き始める。
 
この映画の主題曲「スマイル」は、チャップリン自身が作曲した美しいメロディだ。涙を拭いて、笑うことの大切さを感じさせてくれる。
チャップリンがアメリカを追放された後、ハリウッドは大いに反省し、彼にアカデミー賞を授けた。1972年のことだ。その授賞式で、司会のジャック・レモンを始め全員で「スマイル」を歌った。
 
私も、もう一度涙を拭く必要があるのかもしれない。もう少しだけがんばってみよう。